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真理は単純にして平凡である。

心に残った一文を書き留めていきます。すこしずつ、ひとつずつ、ささやかに。

仰げば尊し8

だいぶ間が空いてしまいました。

すいません。

再開します。

 

高岡英夫先生との出会いから続けます。

その後、高岡先生の講座に随分通いました。

先生の研究所があった市川までなんども足を運び、

講習会のビデオを見て、その度に新しい発見を繰り返していました。

でも、だんだん足りないところが明らかになってきました。

それは「実践の場」です。

最初はそれをサッカーで活かすにはどうするか、が動機だったのですが、

どうもうまくいかない。

何故ならば、高岡先生の運動理論は武道が前提になっていて、

武道抜きで一足飛びにサッカーに応用というのは無理があるからです。

だから、何か武道をやりたくなった。

でも高岡先生のところには、その場がありません。

その後、先生が若い頃からやっている武道の会に入る機会があったのですが、

市川まで通うとなると限界があります。

 

「あーどこかいい道場ないかなぁ」

って探していたところに見つけたのが

Tarzan」1998年6月10日号でした。

この号、ストレッチの特集だったのですが、その中で一人だけ、

ストレッチのように見えるけど、全然違うことを言っている先生がいました。

それが、「飛龍会」という道場を主催している伊藤昇先生でした。

略歴を見ると少林寺拳法の道場を開いたと書いてある。

ということは武道のベースにしたカラダの使い方を教えてくれるところなのではないか?

そう思ったのです。

なので、雑誌を見て問い合わせをするという初めての行為をして見ました。

やがて伊藤先生からファックスが。

稽古はいっぱいだけれど講習会があるので、そこにきなさい。

よっしゃあ。

これが今の私の基礎を作った伊藤先生との出会いでした。

 

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浅草寺で秘伝のお詣り

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浅草寺にお詣りに行ってきました。

 

通常のお詣りではなく、浅草寺のご本尊である正観音(しょうかんのん)さまをお呼びしてのお詣りです。

今年の春からご縁を頂いた整体の師匠にご指導を受けてのものです。

正観音さまは体長3000メートル。

普段は富士山にいて、浅草寺には下僕の聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)さまを遣わして、常駐させています。

正観音さまは一年に一回、ほおづき市の時だけ、箱根を通って浅草寺に降りてきます。

 

その正観音さまに特別にお越しいただくための、「ある文言」を唱えつつ、ご祈祷を受けます。

そうすると、本当に正観音さまがお越しになるんですね。

 

ご祈祷が始めって3分くらいで、カラダがピリピリしだして、視界の端に何か光るものがすっと走って行きました。

ただし、これをやると正観音さまからのプレゼントがもれなく付いてきます。


そうですよね。

そうじゃなければ「神仏への祈願」になりませんよね。

そういう性格のプレゼントです。

 

いやぁ、いいお詣りでした。

 

浅草寺がこんなに重要なお寺だとは思いませんでした。

神仏には詳しいのですが、これは盲点でした。

 

仏縁感謝、です。

ありがとうございました。

仰げば尊し7

高岡英夫先生の「意識のかたち」に書かれていることを要約すると、

 

「運動」を生じさせる「身体の意識(身体意識)」にはカタチと構造がある。

 

(構造とは、

 

それぞれの身体意識がどういう関係にあるのか、重なっているのか、

 

独立しているのか、上位になるのか、下位にあるのか、階層構造なのか、ということ)

 

稽古をする、トレーニングをする、ということの目的は、

 

筋力や持久力やスキルを磨くことの上位に、

 

身体意識を明確にして、それを磨いていくこと、

 

でなければならない。

 

身体意識の「差」が、「実力」の差となって現れる。

 

それに気づいている指導者はほとんどいないし、

 

気づいていたとしても、それを磨いていくドリルを開発している指導者はさらに少ない。

 

そうそう、その通りなんですよ。

 

これはすごい。

 

この本を大盛堂で立ち読みした時は衝撃でした。

 

即、買って、隅々まで読んで、そして高岡先生の講座に申し込んだのでした。

 

初めて参加した講座は「呼吸法」でした。

 

虎ノ門にある教育会館の一室。

 

第一印象は、声がよく通る人だな、でした。

 

「呼吸法」、とても重要です。

 

サッカーばっかりやってると、呼吸法を身につける機会はゼロです。

 

呼吸法がその競技と密接な関係にあるのは、水泳と声楽くらい。

 

あとは、プレーヤーの自主的な工夫に任されています。

 

(任せていればいい方で、そもそもそんなことに気づいてもいない)

 

呼吸法はどこに役に立つか。

 

例えば、サッカーで例をあげましょう。

 

試合前、ロッカールームでやっているのは

 

「気合い入れるぞ! 気持ちで負けるな!」

 

という類の檄です。

 

では、気合いを入れるとは具体的にどういうことでしょう?

 

何をどうすれば気合いが入るのか。

 

誰かこれに答えてくれた人いましたか?

 

監督やコーチや先輩は気合いを入れる方法を持っていましたか?

 

単に、勢いよく声を出すとか、顔を叩くとか、怒ったような表情をするとか、全く無意味に走り回るとか。

 

気合いを入れる、というのは最高のパフォーマンスを発揮するために、

 

心の状態を整えることですよね。

 

その具体的な方法が呼吸法です。

 

ベストパフォーマンスに必要な心の状態は、3つのフェーズから構成されます。

 

それぞれのフェーズの状態を上げていく、あるいは下げていくための呼吸法があります。

 

3つフェーズがあるのですから、呼吸法も3つあります。

 

それをやってみる。

 

私が初めて受けた高岡先生の講座は、こういう内容でした。

 

いやぁ、そうだったのか。

 

もっと早く知っていれば、もっと楽にサッカーできたのに。

 

 

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仰げば尊し6

ノーベル賞の季節です。


で、思い出しました。


私の生涯の師匠、堀江忠男先生は、実はノーベル経済学賞の選考委員でした。


この事実はほとんど知られていません。


そりゃそうです。

誰が選考委員かが知られていたら、「賞を買う」人がでできてしまいますから。


私の代の堀江ゼミのメンバーは、稀有のほど逸材が揃っていました。

同期の一人は、ゼミ論で「小野梓賞」を取ったくらいです。

〔小野梓賞とは早稲田大学のなかで最高に栄誉ある賞で、学部の学生が取るのは20年に一度程度〕


その彼と何人かの同期のメンバーは、堀江先生にとても目にかけられていて、多くの時間を堀江先生と過ごしました。


ア式蹴球部員には考えられませんが、学者としての堀江先生は、グラウンドでの堀江先生と全く違う顔を持ってました。


だから、彼は堀江ゼミの閉鎖が決まったとき〔定年による〕、先生が涙したのも見ているし、死別した前の奥さんのことも、その時に先生は絶望して死のうと思ったこと、どうやってそこから立ち直ったかも知っているし、そして堀江先生の柩をかついだのも彼だった。


その彼が、先生の死後に、密かに教えてくれた。


もう堀江先生が他界して10年以上の時がながれているので、公開してもたぶん大丈夫。


そう思うと、我々はなんと偉大な先生の教えを受けたことか。


この季節になると必ず思いだすのです。



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駅前中華

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五反田の駅前に「亜細亜」という広東料理の店がある。

私が五反田駅を通勤で使うようになってもう25年くらい経過するが、

25年前にすでにこの店はあった。

黒のTシャツと黒のパンツ、後頭部で長い髪を束ねたスリムな体型の老板(ラオバン=大将)と、

同じく黒のTシャツ、黒のパンツ、後頭部で長い髪を束ねたスリムな体型の太太(タイタイ=女将)が二人でやっている。

たまに、両親のいいところだけを受け継いだスラリとした娘と、端正な顔立ちの弟が手伝っている。

今は、弟も父と共に厨房に立ち、娘はその子供達を連れて店に顔をだす。

全員、肌が黒い。

色黒の血筋であろう。

 

この家族の佇まいが好きである。

寡黙で、凛とした一族。

おそらく漢族ではなく、越人の部類に入るだろう。

話している言葉は北京語でも広東語でもない。

もしかしたら客家(ハッカ)かもしれない。

 

私はいつも閉店間際や、夕方のヒマな時間帯を狙ってこの店に行く。

食べるのは、ラーメンとシュウマイ(ハーフ)である。

 

ラーメンは極めてシンプル。

 

横浜の中華街に「徳記」という店があるが、そこのラーメンとがよく似ている。

徳記のそれは池波正太郎さんのお気に入りである。

 

だけど、私はここのラーメンの方が体にあっている。

 

うまいかどうかは、その時のその人の体にあっているかどうかであって、

1回だけ食べてうまいとか、そうでもないとか、を評価するものではない。

 

シュウマイは本来4つだが、私は2つで十分。

柔らかい、優しい味がする。

 

ここは広東料理なので、餃子はない。

 

五反田なので、

酔客が「とりあえずビールと餃子」という反射のようなオーダーをするが、

そのたびに、タイタイが寂しそうに「餃子はやっていません」と答えるのを何度も見た。

 

とはいえ、ラーメンにメンマが乗っているのだから、

広東料理ではあるが、純日本産の料理である。

 

ラオバンの親の代あたりから東京に根を張った華僑であろう。

 

ラーメンとシュウマイハーフで900円。

 

一階のテーブル席に厨房に向かって座り、

ラオバンが静かに北京鍋を振るのを見つつ、この至福の麺をすする。

 

楽しみのひとつである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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仰げば尊し5

私にとっての最初の師匠が、堀江忠男先生。

 

そして1998年6月に第二の師匠に出会うことになりました。

 

「飛龍会」主宰、伊藤昇先生。

 

「カラダの文法」を整えるための「胴体力」体操と、少林寺拳法をベースにした独特の武道を教えていた武道家です。

 

伊藤先生と出あったのが私が40歳のとき。伊藤先生は50歳でした。

 

なぜ「飛龍会」だったのか。

 

大学を卒業して広告会社に入り、それと同時に縁あって東京都リーグに所属するサッカークラブに所属して、毎週末サッカーをしていました。

でも30歳後半をすぎるとだんだん走れなくなってきます。

このままじゃアカん。カラダを作り替えないともうやれない。

 

そう思った時に、思い出したのが武道の達人でした。

 

武道の達人、師匠と呼ばれる方々は、だいたい50歳以上、初老と言ってもいい年齢です。

 

でも、運動能力ではピークと言われる20歳代の若いのを赤子のように扱うのがそれらの先生でした。

 

多分、「お約束」はあるでしょう。

でも、それだけで全て説明できない何かがあるに違いない。

その「何か」を追求すれば、あと10年、20年、サッカーできるんじゃないか?

では、どこに行けばいいのか?

 

高校、大学にも柔道部、剣道部、空手部その他、武道系の部があったけど、あれはサッカーと言う競技を選ぶか、柔道その他の競技を選ぶか、その選択した競技の違いがあるだけで、身体操作の観点で決定的な違いがあるとは思えない。

 

で、迷っていて、最初に飛び込んでみたのが、「西野流呼吸法」でした。

 

由美かおるさんのお師匠さん、西野皓三先生の呼吸法の道場です。

 

なんでこれを選んだかと言うと実は単純で、当時の日本代表チームのキャプテン、加藤久さんも通っているらしい、と噂に聞いたからです。

 

で、週3回くらい、通いました。

 

なるほど、確かに不思議な光景が展開しています。

 

あまり説明がないので、これでいいのかどうかよくわからんままにやっていたのですが、確かに何かカラダが違ってきたように思います。

 

でも、もうちょっと何か、武道的なもの、例えば「突き」とか「蹴り」とか、「関節技」とか、あるいは「型」とか、もやってみたいなぁなんて思うのです。

 

そうこうするうちに、渋谷の大盛堂書店で偶然見つけたのが、高岡英夫先生の「意識のかたち」でした。

 

 

 

 

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仰げば尊し4

我が師匠、堀江忠男先生に関しての補足。

補足というよりもトピックを幾つか。

 

1、1975年前後だったと思いますが、ウルグアイで開催された世界大学サッカー選手権に出場する「大学選抜」の役員として堀江先生が随行された時のこと。

予選リーグは勝ち上がったのですが、ベスト16の初戦で2−0で敗戦しました。

開始早々に失点して、それを挽回できず追加点を許しての敗戦です。

その直後のインタビューで主将だった法政大学のYさん(だと思います)がこう言いました。

「開始1分で失点して、それでガクっときた」

 

これが堀江先生は気に入らない。

 

「残り89分もあるのに、何がガクっときただ!そんなことだから負けるんだ」

 

このエピソードを我々は4年間で30回くらい聞いています。

 

今、ワールドカップ予選で初戦に敗退しただけで、「崖っぷち」とか言っている某民放や、マスコミの人々。

 

何を言ってんだか。

 

2、「真理は単純にして平凡である」

 

これは堀江先生の学問の基本でもあるし、サッカーを含めたその生涯の基本でした。

 

マルクスの誤りの一つは、社会科学を説明するツールとして弁証法を使ったこと。

 

人文科学では有効でも、社会科学には弁証法は適用できない。

 

「飛んでいる矢は、論理が無矛盾であるべきものなら、止まっているはずだ。というのは、それは、いつどこの瞬間においても、どこかの点にあるはずであり、それがどこかの点にあるというからには、止まっているはずだ。そして静止をいくら合計しても運動になるわけがない」というゼノンの主張を基本にしてヘーゲルマルクスが発展させたのが弁証法です。

 

資本論」はこういう論理で全体が覆われています。

 

ですが、こんな論理で経済の法則を論じられても混乱するだけです。

 

「ある」という言葉は静止の状態を意味しているのであって、「いつどこの瞬間においてもどこかの点にない」のが運動だからです。

だから単純に「この物体は運動している」といえばいいだけ。

 

真理は単純にして平凡である、とはこういう研究から生まれてきた言葉です。

 

3、真の勇気は確信から生まれる。

 

これは堀江先生が大学の理事になった時期と照らし合わせるとよくわかります。

 

昭和43年から45年。学生運動の最盛期です。この時に学生担当理事として学生と向き合ったのが堀江先生でした。

 

相手はマルクスの理論を背景として「革命を!」と主張する「武装」した学生その他。

堀江先生はそのマルクスを徹底的に批判している学者。

その緊迫感の中で、堀江先生を支えたのは、自分の学問に対する確信だったのでしょう。

 

この言葉は、この現場から生まれたものだったと思っています。

 

 

 

 

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