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真理は単純にして平凡である。

心に残った一文を書き留めていきます。すこしずつ、ひとつずつ、ささやかに。

仰げば尊し8

だいぶ間が空いてしまいました。 すいません。 再開します。 高岡英夫先生との出会いから続けます。 その後、高岡先生の講座に随分通いました。 先生の研究所があった市川までなんども足を運び、 講習会のビデオを見て、その度に新しい発見を繰り返していま…

浅草寺で秘伝のお詣り

浅草寺にお詣りに行ってきました。 通常のお詣りではなく、浅草寺のご本尊である正観音(しょうかんのん)さまをお呼びしてのお詣りです。 今年の春からご縁を頂いた整体の師匠にご指導を受けてのものです。 正観音さまは体長3000メートル。 普段は富士…

仰げば尊し7

高岡英夫先生の「意識のかたち」に書かれていることを要約すると、 「運動」を生じさせる「身体の意識(身体意識)」にはカタチと構造がある。 (構造とは、 それぞれの身体意識がどういう関係にあるのか、重なっているのか、 独立しているのか、上位になる…

仰げば尊し6

ノーベル賞の季節です。で、思い出しました。私の生涯の師匠、堀江忠男先生は、実はノーベル経済学賞の選考委員でした。この事実はほとんど知られていません。そりゃそうです。誰が選考委員かが知られていたら、「賞を買う」人がでできてしまいますから。私…

駅前中華

五反田の駅前に「亜細亜」という広東料理の店がある。 私が五反田駅を通勤で使うようになってもう25年くらい経過するが、 25年前にすでにこの店はあった。 黒のTシャツと黒のパンツ、後頭部で長い髪を束ねたスリムな体型の老板(ラオバン=大将)と、 …

仰げば尊し5

私にとっての最初の師匠が、堀江忠男先生。 そして1998年6月に第二の師匠に出会うことになりました。 「飛龍会」主宰、伊藤昇先生。 「カラダの文法」を整えるための「胴体力」体操と、少林寺拳法をベースにした独特の武道を教えていた武道家です。 伊…

仰げば尊し4

我が師匠、堀江忠男先生に関しての補足。 補足というよりもトピックを幾つか。 1、1975年前後だったと思いますが、ウルグアイで開催された世界大学サッカー選手権に出場する「大学選抜」の役員として堀江先生が随行された時のこと。 予選リーグは勝ち上…

仰げば尊し3

堀江先生が他界されたのは、2003年3月29日。 その日の朝、日経新聞の訃報欄に恐れていたそのお名前が出ていた時にやってきた感情は、「これからどうやって生きていけばいいのか」という大きな喪失感でした。 堀江先生の葬儀のとき、参列者に配られた…

仰げば尊し2

堀江先生は大正2年生まれですから、私が東伏見のグラウンドをやみくもに走っていた時は64歳。 練習中にグラウンド脇を見るといつの間にか紺のアディダスのジャージを着た痩身の人が立っていました。 「あ、もしかして堀江先生か?」 と思ったら、やっぱり…

仰げば尊し1

あなたには「師匠」がいますか? 幸いにも、私には数人の「師匠」がいます。 「師匠」を見つける才能は少しあるのかもしれません。 世の中には、師匠を持たない人、師匠との出会いがなかった人がたくさんいます。 もちろん、それが不幸とか、ダメだとかいう…

ブログ再開します

「ブログをほったらかしにしているとエネルギー状態がどんどん下がっていく」 ということがわかりました。 確かに、その通りだと思います。 このブログの更新が滞っている間、諸々の状態が上がったかというとそうでもありません。 でも、冒頭の指摘をしてい…

明るい言葉を大きな声で

看護婦になる教育を受けているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されてもされなくても鼓膜が物理的に明るく震えることに変わりはありま…

学習や訓練によって得られないギフト

いずれにせよ、あなたはマジック・タッチを持っている。普通ではない力を発する指だ。人間の身体の特殊なポイントを探りあてることのできる鋭い感覚だ。それは特別な資格であり、ごく限られた数の人間にしか与えられない。学習や訓練によって得られるもので…

美しく心地よいお話

世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めてはいない。真実というのはおおかたの場合、あなたが言ったように、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも…

どれほど根が善良でも

「かれらがなんであるかは、かれらの生産と、すなわちかれらがなにを生産し、またいかに生産するかということと一致する」 史的唯物論を「ひとこと」で言えば(無理な注文ですけど)、これに尽くされる。そう言っていいくらい有名な言葉です。 人間が何もの…

耳をすます

何故わたしにそんなことがわかるのか?耳を澄ませばわかる。声を聴くことがわたしの仕事なのだから。 「1Q84 Book2」村上春樹 新潮文庫 後編 23ページ これ、このまま臨床で使います。その通りです。

身体機能の活性化

私がやっていのは、日常的な領域での身体機能の活性化です。そのような深刻な問題は、とても手に負えそうにはありません。 「1Q84 Book2」新潮文庫 前編 252ページ 私がやっているのは、あくまで実際的なことです。筋肉の成り立ちや機能について大学のク…

青豆さんのお祈り

予測が外れたときのことまではとくに考えなかった。彼女にできるのはお祈りすることくらいだ。しかし彼女にはわかっていた。お祈りは効くのだということが。 「1Q84 Book2」 新潮文庫 前編 194ページ そしてこの青豆さんのお祈りはこれ。 天上のお方(か…

この建物の中にいると気持ちが落ち着く

この建物の中にいると気持ちが落ち着くとか、話がしやすいとか、知的な高揚感を覚えるとか、そういったそこに生きている人間にとっては自明な身体実感は数値化することができません。 「最終講義 生き延びるための七講」内田樹 文春文庫Kindle版 269 建物…

何回読んでもわからない本

本を読むということが、いかに恐ろしいことか。(中略)詩人ステファヌ・マラルメが、新聞などと本は格が違うと言っています。何故なら本は「たくさん折り畳まれている」からだ、と。一体何を素っ頓狂な事を言ってるんだ、と思われるかもしれない。しかしこ…

人生には救いがある。

一人でもいいから、心から誰かを愛することができれば、人生には救いがある。 1Q84 Book1 村上春樹 新潮社 342ページ その通りです。

強靭で美しく清潔

肉体こそが人間にとっての神殿であり、たとえそこに何を祀るにせよ、それは少しでも強靭であり、美しく清潔であるべきだ。 1Q84 Book1」 村上春樹 新潮社 242ページ カラダのメンテナンスを日常の生活のなかに組み込まないと、カラダは劣化していきます。…

むしろ力の抜き方だ

軽く、慈しむように、適正な角度で、適正な強さで、たなごころを下に落とす。重力に逆らわずに、すとんと。そして細い針の先がその部分に、あくまで自然に吸い込まれるようにする。深く、滑らかに、そして致死的に。大切なのは角度と力の入れ方なのだ ──いや…

いつものようにお祈り

そのあとで目を閉じて、いつものようにお祈りの文句を唱えた。その文句自体には何の意味もない。意味なんてどうでもいい。お祈りを唱えるということが大事なのだから。 「1Q84 Book1」村上春樹 新潮社 66ページ これもその通り。祈るという行為そのものに…

表情の動き方の自然さ

多くの場合、人々の注意や関心を惹きつけるのは、静止した顔立ちの善し悪しよりも、むしろ表情の動き方の自然さや優雅さなのだ 「1Q84 Book1」村上春樹 新潮社 25ページ そうなんですよ。自分の表情の動き方を自分でチェックするには、ムービーを撮って確…

違う日常の風景

で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも、見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつです。 「1Q84 Book1」村上春樹 新…

情報というフィルター

本を読むということは、下手をすると気が狂うくらいのことだ、と。何故人は本をまともに受け取らないのか。読んで正しいと思ったのに、そのかかに受けとらず。「情報」というフィルターにかけて無害化してしまうのか。おわかりですね。狂ってしまうからです…

ささやかな別天地

道道無常道 天天小有天 この世に絶対不変の道、絶対不変の真理などというものはないのだ。しかし、まあ、毎日、ささやかな別天地というものはある。 出典はなんだか忘れちゃいました。 ささやかな別天地というところが気に入っています。 それでいいんですよ…

祝福ということの本義

「これでこの人についての語りはおしまいです。この人が何者であるかについては全てが語り切られました」と言ってはならない。それでは呪いを鎮めることができない。だから写生に終わりはない。人間的現実に記述しきったということは起こらない。生は汲み尽…

あまりぱっとしない自分

僕たちにとって喫緊の課題は、妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さず、生身の、具体的な生活のうちに深く捉えられた、あまりぱっとしない「正味の自分」をこそ主体として維持し続けることです。 たしか内田樹先生の著作の一部。 そう、…

学問の力

皆さんの前に、輝かしい未来が開けますように。そして皆さんが教養学部で、この駒場の地で培った教養の力、健全な批判精神に裏打ちされた教養の力が、ますます混迷の度を深めつつあるこの世界に、やがて新しい叡智の光をもたらしますように。万感の思いを込…

「天狗芸術論」から

「理は上より説き下し、修業は下より尋ねあげること物の常なり……敵に向かって生を忘れ死を忘れ、敵を忘れ我を忘れて、念の動ぜず意を作さず、無心にして自然の感に任ずるときは、変化自在にして応用無碍なり。 生を捨て死に赴くことはやすく、死生を以て二つ…

運命の改良とは

実際は運命の改良というのは「心」にあるのです。自分の心の在り方なのです。 無意識の心になってしまうことは〝のれんに腕押し〟と同じですから、天中殺が来ようと何が来ようと引き摺られないのです。 「算命学Ⅳ」 高尾義政 小川三郎 編 高尾学館算命出版 …

品がよくなるように

僕は人を健康にしようとか思ってやっている訳じゃないですよ。まあ、品が良くなるようにということでしょうか 整体協会身体教育研究所 野口裕之氏 これは書籍ではなく言葉として伝わっているものですが、まことに至言。

科学的とは

私たちの社会では(中略)、計測可能、数値化可能な現象だけを扱う自己抑制のことを、「科学的」と呼ぶことが習慣化している。 だが、先端科学の研究者たちは、手持ちの計測機器や既知のスキームでは考量不可能の現象に惹きつけられ、その現象の背後にどのよ…

奔草の狼火

「鐘の音が一呼吸遅れじゃった」 「奔草(ほんそう)の狼火(のろし)が上がりましてございまする」 「……」 「小田原よりの送り狼火で丑の刻きっかりに」 「去ぬか」 「はい。今生(こんじょう)のお別れにございまする。来生にて…再び」 「子連れ狼」 小池…

科学的に?

鍼灸を科学的に行いたい、と考えている人達がいる。私にはこの発想が解らない。科学的にと考える裏側には、医師ではない、という劣等感コンプレックスが潜んでいるのではないか、と勘ぐりたくなる。 「難経真義」 池田政一 六然社 159ページ 私もそう思い…

右前の構え、いわゆるサウスポースタイル。

左股関節は前方への動きを生み出し、右股関節は後方への動きを生み出す。 「左重心で運動能力は劇的に上がる!』 小山田良治、織田淳太郎 宝島新書 25ページ この本を読むまで、「サッカーにおいて左からの攻撃の方がゴールになりやすい」という私の直感を…

胴体の三つの動き

身体の根幹となる「胴体」の動きは三つしかない。 その三つとは、「丸める/反る」、「伸ばす/縮める」、「捻り」である。 あらゆる動きはこの三つの胴体の動きのバリエーションにすぎない。 「スーパーボディを読む」 伊藤昇 マガジンハウス 13ページ いま…

息静かにして

治療といふこと 技によりて為すに非ず、機によりて為すに非ず。我が息静かにして乱れざること也。我が息 自然にして我無き息によりて為す也。 治療を行ふは自然也。人が人を治すに非ず。人はその在る あるに或る也。 その在る あるに在らしむること 治療とい…

「神の不在」への答え

レヴィナスがこう書いたのは、ホロコーストの後、ヨーロッパのユダヤ人社会が600万人のユダヤ人の死によって、物質的にも精神的にも瓦解状態にあったときのことでした。 生き残ったユダヤ人の多くは、彼らの神が彼らを襲った民族的な規模の災厄のときにも…

見えざるものを見て

治療するの人 体を見て気を感じ、気を感じて心を知り、心を知りて人間の生くる動きを感じ、その生きていることの現はれとして、体のこと 心のこと感ずるを得る也。斯くしてのみ姿勢を見て裡の平衡感覚のはたらきを知り、一言の不平に百千の抑制されている感…

祈るということ

祈るというのは、人知の及ばないことについて天の助けを求めるということです。「この世には人知の及ばぬことがある」という人間の能力の限界の感覚がないと祈りは始まらない。 中略 僕が祈るのは、危機に対する感受性を高めておくためです。お祈りが済んだ…

優し身

身体調整の優れた実践—研究は、人間に対する格別に広く深い関心と、万人を愛し、思いやる<優し身(やさしみ)>がなければ、そもそも成り立つことのない仕事である。 中略 優れた身体調整をなすには、あらゆることに〝身〟が啓かれていることが、必要である…

その名を呼ぶもの

神は「神の言葉に聴き従うもの」の出現をもってはじめて神として存在し始めます。もちろん神はそれ以前から存在するのですが、それを「神」と呼び、その名を讃え、そのための儀礼を行なうものはいませんでした。「私は被造物である」と名乗るものが出現する…

型とは?その2

では日野が考える型とは何か? それはつまり、運動の始点がどこか、運動が線としてどうつながっていくか、動きによって体重はどう移動していくのか、意識が変わると動きはどう変わるのか、どの部位に緊張を与えると他の部位が緩むのか——それらを検証するため…

ノウハウとは過去の成功体験

冷静に考えればわかるように、ノウハウとは過去の成功体験でしかない。かつての経験でいまの危機を解決できるわけがない。それはかつて経験したことのない未知の出来事なのだから。 「体の知性を取り戻す」尹雄大 講談社現代新書 126ページ 未知の出来事…

常に楽々悠々生きて

導くといふこと 技によりて為すに非ず 言葉によりて為すに非ず。たゞのり超える力 裡にありてのみ その力 相手に喚び起すこと出来る也。それ故治療するの人 悲しさをもたず 苦しさを知らず 病を知らず 不幸に悩むこと無く生く可き也。常に楽々悠々生きて 深…

正しい歩き方は存在しない

本能が命じる標準的な「正しい」歩行法というものは存在しません。ときどき「正しいウォーキングの仕方」というようなことを教えている人がいますけれど、あれは嘘です。世界中のすべての社会集団は固有の歩行法を採用しています。それは正しい歩行法が存在…

常識や習慣という曇りガラス

稽古は道場に限った話えはなく、日常そのものの何気ない所作の観察がすでに稽古だった。体に対しては、自分の外にある理想のモデルを学習しても意味がない。自分で新たに気づくことがない限り、決して深く学べないのだ。 何も正しいドアノブの回し方があるわ…