真理は単純にして平凡である。

心に残った一文を書き留めていきます。すこしずつ、ひとつずつ、ささやかに。

運命の改良とは

実際は運命の改良というのは「心」にあるのです。自分の心の在り方なのです。 無意識の心になってしまうことは〝のれんに腕押し〟と同じですから、天中殺が来ようと何が来ようと引き摺られないのです。 「算命学Ⅳ」 高尾義政 小川三郎 編 高尾学館算命出版 …

品がよくなるように

僕は人を健康にしようとか思ってやっている訳じゃないですよ。まあ、品が良くなるようにということでしょうか 整体協会身体教育研究所 野口裕之氏 これは書籍ではなく言葉として伝わっているものですが、まことに至言。

科学的とは

私たちの社会では(中略)、計測可能、数値化可能な現象だけを扱う自己抑制のことを、「科学的」と呼ぶことが習慣化している。 だが、先端科学の研究者たちは、手持ちの計測機器や既知のスキームでは考量不可能の現象に惹きつけられ、その現象の背後にどのよ…

奔草の狼火

「鐘の音が一呼吸遅れじゃった」 「奔草(ほんそう)の狼火(のろし)が上がりましてございまする」 「……」 「小田原よりの送り狼火で丑の刻きっかりに」 「去ぬか」 「はい。今生(こんじょう)のお別れにございまする。来生にて…再び」 「子連れ狼」 小池…

科学的に?

鍼灸を科学的に行いたい、と考えている人達がいる。私にはこの発想が解らない。科学的にと考える裏側には、医師ではない、という劣等感コンプレックスが潜んでいるのではないか、と勘ぐりたくなる。 「難経真義」 池田政一 六然社 159ページ 私もそう思い…

右前の構え、いわゆるサウスポースタイル。

左股関節は前方への動きを生み出し、右股関節は後方への動きを生み出す。 「左重心で運動能力は劇的に上がる!』 小山田良治、織田淳太郎 宝島新書 25ページ この本を読むまで、「サッカーにおいて左からの攻撃の方がゴールになりやすい」という私の直感を…

胴体の三つの動き

身体の根幹となる「胴体」の動きは三つしかない。 その三つとは、「丸める/反る」、「伸ばす/縮める」、「捻り」である。 あらゆる動きはこの三つの胴体の動きのバリエーションにすぎない。 「スーパーボディを読む」 伊藤昇 マガジンハウス 13ページ いま…

息静かにして

治療といふこと 技によりて為すに非ず、機によりて為すに非ず。我が息静かにして乱れざること也。我が息 自然にして我無き息によりて為す也。 治療を行ふは自然也。人が人を治すに非ず。人はその在る あるに或る也。 その在る あるに在らしむること 治療とい…

「神の不在」への答え

レヴィナスがこう書いたのは、ホロコーストの後、ヨーロッパのユダヤ人社会が600万人のユダヤ人の死によって、物質的にも精神的にも瓦解状態にあったときのことでした。 生き残ったユダヤ人の多くは、彼らの神が彼らを襲った民族的な規模の災厄のときにも…

見えざるものを見て

治療するの人 体を見て気を感じ、気を感じて心を知り、心を知りて人間の生くる動きを感じ、その生きていることの現はれとして、体のこと 心のこと感ずるを得る也。斯くしてのみ姿勢を見て裡の平衡感覚のはたらきを知り、一言の不平に百千の抑制されている感…

祈るということ

祈るというのは、人知の及ばないことについて天の助けを求めるということです。「この世には人知の及ばぬことがある」という人間の能力の限界の感覚がないと祈りは始まらない。 中略 僕が祈るのは、危機に対する感受性を高めておくためです。お祈りが済んだ…

優し身

身体調整の優れた実践—研究は、人間に対する格別に広く深い関心と、万人を愛し、思いやる<優し身(やさしみ)>がなければ、そもそも成り立つことのない仕事である。 中略 優れた身体調整をなすには、あらゆることに〝身〟が啓かれていることが、必要である…

その名を呼ぶもの

神は「神の言葉に聴き従うもの」の出現をもってはじめて神として存在し始めます。もちろん神はそれ以前から存在するのですが、それを「神」と呼び、その名を讃え、そのための儀礼を行なうものはいませんでした。「私は被造物である」と名乗るものが出現する…

型とは?その2

では日野が考える型とは何か? それはつまり、運動の始点がどこか、運動が線としてどうつながっていくか、動きによって体重はどう移動していくのか、意識が変わると動きはどう変わるのか、どの部位に緊張を与えると他の部位が緩むのか——それらを検証するため…

ノウハウとは過去の成功体験

冷静に考えればわかるように、ノウハウとは過去の成功体験でしかない。かつての経験でいまの危機を解決できるわけがない。それはかつて経験したことのない未知の出来事なのだから。 「体の知性を取り戻す」尹雄大 講談社現代新書 126ページ 未知の出来事…

常に楽々悠々生きて

導くといふこと 技によりて為すに非ず 言葉によりて為すに非ず。たゞのり超える力 裡にありてのみ その力 相手に喚び起すこと出来る也。それ故治療するの人 悲しさをもたず 苦しさを知らず 病を知らず 不幸に悩むこと無く生く可き也。常に楽々悠々生きて 深…

正しい歩き方は存在しない

本能が命じる標準的な「正しい」歩行法というものは存在しません。ときどき「正しいウォーキングの仕方」というようなことを教えている人がいますけれど、あれは嘘です。世界中のすべての社会集団は固有の歩行法を採用しています。それは正しい歩行法が存在…

常識や習慣という曇りガラス

稽古は道場に限った話えはなく、日常そのものの何気ない所作の観察がすでに稽古だった。体に対しては、自分の外にある理想のモデルを学習しても意味がない。自分で新たに気づくことがない限り、決して深く学べないのだ。 何も正しいドアノブの回し方があるわ…

「型」をどう考えるか

波に乗れるようになるには、いまの自分のままであっては決して乗れないことを海に入ってみて肌で知る必要がある。くだんのサーファーは基本をおろそかにしているのではない。型を型として活かすために、自意識や我の出た動きを否定しているのだ。 「体の知性…

実感が曲者。

実感が曲者だということは前にも述べた。しかし、私たちの日常は実感をよきものとして捉えているため、それが問題になると言われてもピンと来ない。現に実感できないサービスでは満足が得られないし、反芻できるようなすばらしさを実感しないと感動できない…

矜り高く生きよ。

汝は学問を琢き知を博め、もって帝を扶翼し奉る重き宿命を負うておる。よいか、文秀。困難な一生じゃぞ。心して仕え、矜り高く生きよ。 「蒼穹の昴1」 浅田次郎 講談社文庫 24ページ この小説を読むの、これで何度目か。とくにこの白太太のお告げがいい。…

投げられたあとの幸福感

単純な力まかせで相手をやり込めようのするときは、やる側もやられる側にもわだかまりが残るものだ。後味が爽やかではない。「相手をどうにかしてやろう」という我の張った動きは、丁寧な振る舞いには決してならない。そんな粗暴さに対しては、つい感情的に…

沢庵禅師「太阿記」

蓋し兵法者は勝負を争わず、強弱に拘らず、一歩を出ず、一歩を退かず、敵我を見ず、我敵を見ず、天地未分陰陽不到の処に徹して、直ちに功を得べし。 「太阿記」 沢庵禅師 主客未分、を表す有名な(武道家の間では)一説です。 これは治療も同じ。 もともと武…

まことに彼は我々の病を負い

彼は醜く、威厳もない。みじめで、みすぼらしい 人は彼を蔑み、見すてた 忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人々に侮られる まことに彼は我々の病を負い 我々の悲しみを担った 「深い河」遠藤周作 講談社文庫 339ページ 昨日のテーマと同じです…

オーラがすごいと言ってるようじゃまだまだ。

ほら、よく言うでしょ。「オーラがすごい」「圧倒的な存在感」「教祖のような雰囲気」なんて。そんなのね、まだまだダメだと思うんですよね。ホンモノの宗教性は、びっくりするほど威圧感がない。もう、隣りに住んでるふつうのおっちゃん、といったただずま…

「ありのまま」でいいのだろうか。

嫉妬や憎悪、あるいは自己憐憫や怠惰を自分に許す、そういう傾向が現代社会ではとりわけ顕著であるように僕には見えます。人を憎む気持ちを平気で公開する。嫉妬心を剥き出しにする。自己規律の弱さを隠さない。そういう傾向が際立っています。そのこと自体…

些細なシグナル

自分を刷新してくれるような出来事は、いつだって些細なことなのだ。それをちゃんと捕まえておけるかどうかが、ものの見方の転換になるかどうかの別れ目になるのではないか。 「体の知性を取り戻す」 尹雄大 講談社現代新書70ページ 湯がたぎっているやか…

実感なんてなくていい

実感はいま新しく起きていることにまるで向き合っていない隙間に生じる虚ろな感覚だ。ズレが実感として自分を照り返しているのだ。だから、それを再現しようとするとき努力が生じる。しかし、その過程では少しも新しい出来事は起こらず、自分の中の古びた感…

先生、ご臨終ですか。

山岡鉄舟は五十三歳で胃癌で亡くなったが、「胃がん胃がんと申せども いかん中にもよいとこもあり」と詠むなど最後まで洒脱さを失わなかった。 死の間際、枕頭を見舞った勝海舟が、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うと鉄舟は少し目を開いてにっこりと…

非人間的なもの

「表から『入れてください』とドアを叩いても、中からドアを開けないとヴァンパイアは入ってこられない。誰か中の人がドアを開けて、『どうぞ』と言わないと入ってこられない。これは『非人間的なもの』が人間世界に侵入してくるときの構造をよく表していま…