真理は単純にして平凡である。

心に残った一文を書き留めていきます。すこしずつ、ひとつずつ、ささやかに。

投げられたあとの幸福感

単純な力まかせで相手をやり込めようのするときは、やる側もやられる側にもわだかまりが残るものだ。後味が爽やかではない。「相手をどうにかしてやろう」という我の張った動きは、丁寧な振る舞いには決してならない。そんな粗暴さに対しては、つい感情的に対応してしまう。つまり、力づくに対しては「やられてたまるか」というように、他人の我によって自分の我が触発されてしまうのだ。

 甲野先生の技にはそれがなかった。投げられても、嫌な気持ちにならない。心の中にわだかまりが生じない。むしろ、爽やかな気分だった。もしかしたら、この技は心に清々しさがないと成立しないのではないか?俗にいう心技体は嘘ではないのかもしれない。

 

「体の知性を取り戻す」 尹雄大 講談社現代新書 79ページ

 

技をかけられたあとの爽やかな気分、というのは私も経験があります。

伊藤昇先生のもとで稽古していたときです。伊藤先生に「柔法」かけられると激痛でまったく身動きできなくなるのですが、おわったあとはなんだか爽快なんです。ちょっぴり幸せ、と言った方がいいかもしれない。

あれはなんでだろう?って不思議に思っていました。

 

のちに、なんの書籍だっかた忘れましたが、某関取の言葉としてこんなことが書いてありました。

 

大相撲の横綱双葉山と相撲をとるとなんだかわからないうちに投げられて負けているのだけれど、なぜかそのあとすごい幸せな気分になる

 

これを読んだときに伊藤先生のあれもこういうことだったかのか、って納得いきました。