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真理は単純にして平凡である。

心に残った一文を書き留めていきます。すこしずつ、ひとつずつ、ささやかに。

「神の不在」への答え

レヴィナスがこう書いたのは、ホロコーストの後、ヨーロッパのユダヤ人社会が600万人のユダヤ人の死によって、物質的にも精神的にも瓦解状態にあったときのことでした。

生き残ったユダヤ人の多くは、彼らの神が彼らを襲った民族的な規模の災厄のときにも奇跡的な介入によって彼の民を救うことなく、虐殺されるに任せたことを理由に信仰に背を向けました。

そのときレヴィナスはこう言って、その背教をなじったのです。

 

あなたがたはいったいどのような幼児的な神をこれまで信じていたのか。

「善行をしたものには報償を与え、過ちを犯したものを罰し、あるいは赦し、その善性ゆえに人間たちを永遠の幼児として扱うもの」

をあなたがたは神だと信じてきたのか。

だが、よく考えてほしい。

ホロコーストは人間が人間に対して犯した罪である。

人間が人間に対して犯した罪は人間によってしか贖うことはできない。

それは神の仕事ではなく、人間の果たすべき仕事である。

人間たちの世界に人間的価値を根づかせるのは人間の仕事である。

「私たちの力だけではこの世界を公正で慈愛にみちたものにすることができません。

神さま、なんとかしてください」

と泣訴するような幼児的な人間を神がわざわざ創造するということがありえようか。

神がその名にふさわしい威徳と全能を備えたものであるならば、

神は必ずや神の支援抜きでこの地上に正義と慈愛の世界を作り出すことのできる人間を創造されたはずである。

だから、成人の信仰は、神が世界を負託できるものたることを自らの責務として引き受ける人間の出現によって証されるのである。

 

「呪いの時代」 内田樹 新潮文庫 230ページ

 

すばらしい。私はこの一文を読んだとき、震えるほど感動しました。

 

大きな災厄や、痛ましい事件が起きるとその関係者は「神の不在」を嘆きます。

「神さまがいるならば、こんなひどいことがどうして起きるのか」

この悲しみ、怒りには返す言葉がありません。

ただただ、その悲しさ、怒りを察することだけしかできません。

 

でも、だからと言って「神さまの不在」とは言えません。

それをどう説明するのか。

私は長い間、その回答を探していました。

そして、レヴィナス師の上記引用の答えを発見しました。

これほど、説得力のあるものに出会ったことはありません。