真理は単純にして平凡である。

心に残った一文を書き留めていきます。すこしずつ、ひとつずつ、ささやかに。

「天狗芸術論」から

「理は上より説き下し、修業は下より尋ねあげること物の常なり……敵に向かって生を忘れ死を忘れ、敵を忘れ我を忘れて、念の動ぜず意を作さず、無心にして自然の感に任ずるときは、変化自在にして応用無碍なり。

生を捨て死に赴くことはやすく、死生を以て二つにせざることは難し、死生は以て二つにせざるもの、よく自在をなすべし……道は見るべからず、聞くべからず、その見るべく聞くべき道の跡なり、その跡によって、その跡なきを悟る、是を自得という」

 

姿三四郎(上) 富田常雄 新潮文庫 171ページ

 

これは、佚斎樗山(いっさいちょざん)の「天狗芸術論」から、著者の富田常雄さんが抜粋して、紘道館柔道を起こした矢野正五郎の言葉としたもの。

 

天狗芸術論も名著ですが、姿三四郎も名作です。
正確にいうとこの言葉が出て来るのは「姿三四郎」ではなく、その前段というべき別の作品(たしか「柔」)のなかです。
矢野正五郎がたった一人の弟子、戸田雄二郎とともに紘道館柔道を起こすまでの物語。後の姿三四郎の物語をコンパクトにまとめたようなものですが、むしろこっちの方が面白い。
ただし、「姿三四郎」は絶版で、古書でしか手に入りません。
たぶん「蜘蛛」と呼ばれる先天的奇形の強敵が出て来るからでしょう。
姿三四郎」の長いお話は、後の「ドラゴンボール」や「北斗の拳」と同じ構造をしています。