真理は単純にして平凡である。

心に残った一文を書き留めていきます。すこしずつ、ひとつずつ、ささやかに。

何回読んでもわからない本

本を読むということが、いかに恐ろしいことか。(中略)詩人ステファヌ・マラルメが、新聞などと本は格が違うと言っています。何故なら本は「たくさん折り畳まれている」からだ、と。一体何を素っ頓狂な事を言ってるんだ、と思われるかもしれない。しかしこれは本質的なことです。本というのは一枚の紙を何度も折り畳んで裁断してつくるわけです。でも、そうして折り畳んで「本」にすると、急に一枚紙の文章や二枚に折り畳んで広げた書類と違って、何回読んでもわからなくなる。何度読んでも、何度目を凝らしても、すべての知識をものにしたという確信が不意に消え果てていく。不思議なことですが、これは事実です。繰り返します。本なんて読めません。読めるわけがない。「本」にした途端、何回読んでもわからなくなる。そういう本だけが本です。

 

「切り取れ、あの祈る手を」 佐々木中 河出書房新社 59ページ

 

そういう本とはどんな本か。最近やっと気がつきました。私にとっての「その本」は

古事記(ふることふみ)」です。
歴史を学ぶと、日本書紀は中国向けに漢字で書かれた正史、古事記は国民にむけて書かれた神話、と説明されていることがわかります。

でも、これは全然違います。古事記日本書紀はもっと本質的な違いがあります。